【パーソナルトレーナー鈴木謙太郎とは?】
2017年4月時点、トレーナー歴20年のベテラン。
トレーナーという仕事を続けて来れたのは、トレーナーを天職だと思い楽しんでやって来れた事が何よりの要因だと思います。
今でこそ人様の身体を預かる仕事をしていますがなんと元々は虚弱体質(笑)
青白いもやしっ子がパーソナルトレーナーになるまでのルーツをご紹介させてください。
【親戚一の運動音痴】
まず生まれた時は2300g、小さな身体で生まれます。
母親曰く「あまりミルクも飲まなかった」との事。
気管支喘息、幼少期は屋外を走るだけで発作が起こる。友人と集まり、鬼ごっこを行うのが一番嫌いでした。
走ると喘息で苦しくなる、、おのずとずっと鬼なんです(笑)
親戚の中でも「謙太郎は身体が弱い」で認識されます。
それもあり、母親が水泳教室に通わせる事を決意。
それが鈴木の身体作りのスタートでした。
【幼少期からトレーニングで身体は変わる!を実感】
幸いな事に、近所のスイミング教室は強豪なクラブでした。
週5、6回の練習をこなし選手コースまで進みます。50m自由形のベストタイムは25秒8。
これくらいレベルであれば、小学校での水泳授業ではぶっちぎりです。
そうなると「鈴木君は運動が得意な人」に見られ始めます。
元虚弱体質の自分としては、とても不思議な感覚だったのです。
【弱い者こそ憧れる強さ。目標となったあの人は?】
スイミング教室の前には必ずテレビでプロレスの試合を見ていました(笑)
当時は「長州力と藤浪辰巳の名勝負数え歌」の時代。
入場曲を聞くと、身体の中から沸き起こる興奮が今でも忘れられません。
なんと虚弱体質な子供は、その後プロレスラーを目指し、中学生で柔道、高校ではレスリングを始めます。
高校での文化祭ではクラスの出し物にプロレスを開選択。そして大成功(笑)
ただ、格闘技で実に多くの怪我をしてしまいます。それがきっかけとなり「怪我をしないでいかに強くなるか?」を探求し始めます。
【20年前のトレーナー業界、トレーナー駆け出しの時代】
はっきり言いまして、、全く仕事がありませんでした。
パーソナルトレーニングという言葉や職業はフィットネス先進国のアメリカには存在していました。
がっ!日本はまだまだ、、仕事は各現場でのプレゼンテーションから始まります。
ただ、この経験が基になり「いかにトレーニングの良さを伝えるか?」を伝える能力が養われます。
仕事は選んでいる余裕がなく、交通費だけ(それさえも出なくとも)でもお呼びがかかれば出向きます。
野球、バスケットボール、ラグビー、トライアスロン、水泳の各競技選手の現場に飛び回ります。
また専門学校の非常勤講師、同業者向けのセミナーも担当。
若干23歳での講師業はさすがに緊張してできない、、、なんて言えないくらい仕事がないので、声をかけられたら全てやってみる!がこの時のポリシー。
【時は来た!遂に自分の理想郷を作る】
20代中盤、クラインとが続々と結果を出し始めてくれます。
担当していた高校野球部では5回の甲子園出場、大学バスケットボール部もインカレで準優勝、一般のクライントもダイエットの成功、腰痛や肩こりを始めとした各関節のリハビリも高確率で改善。
これならいける!と確信。
恵比寿Mind_Bodyのスタジオ名で、パーソナルトレーニング専門スタジオを28歳で開設。
完全プライベート空間でのトレーニングシステムは業界でも先駆け的である。
スタジオ開設丸12年は業界でもトップ。
開設当時より毎週通われるお客様も多く、1年以上継続されるお客様なんと82%以上と驚異の数字である。
わかりやすくて、違いを感じられるレッスンが評判である。
〜現在の保有資格〜
●加圧トレーニング上級インストラクター(資格養成可能)
●BESJ認定 ピラティスインストラクター
●アンチエイジングプランナー